ある時、ある人に、
最近精神的に辛いんです、苦痛なんです、とSOSのメールを書いた時がありました。
すぐに返事がきて、
「その苦痛の下には、どんな感情があるんでしょうね?」
と書いてありました。
とてもさっぱりした返事で、
本当は、もっと高尚な慰めの言葉が欲しかった気がしましたが、
それだけに、妙に気になる言葉でした。
「苦痛の下には、何があるだろう?」
そう問いかけると、
「恐怖」があるようです。
では、「誰」が恐怖を感じてるのでしょう?
わたしは、
人間は、少なくとも「4つの自分」でできていると感じています。
身体、精神、子ども、意識です。
さて、めいっぱいの恐怖を感じているとして、4つの自分の「誰」が感じているか、考えることにしました。そのやり方は、問いかけるというものです。
つまり、「恐怖を感じているのは、身体かな?」と実際、心の内に聞いてみるというやり方です。
すると、、、
「身体」は、たしかに恐怖を感じて、こわばったり痛かったりしますが、身体そのものが怖がっているというより、「ほかのだれか」によって恐怖をもたらされている感じです。
「精神」は、思考する専門家(つまり、いつも哲学者)で、やはり、「ほかのだれか」の感じる恐怖が大きすぎると、働きません。
「子ども」は、自分の中の子どもの部分です。「自分の中の子ども」については、色んな概念や、わたし自身の実感もあるのですが、とりあえず、自分の中の子どもっぽい部分ということにしておきましょう。
さて、その「自分の中の子ども」が、怖がってるのかな?と聞くと、
子どもは、こんなふうに言ってる気がしてきます。ゼンゼン!ぼくががんばって、色んなことしたり、耐えたりしてるんだよー?
そうか成る程。
では、怖がっているのは、、、
他ならぬ、色々な「自分の中の自分」に聞いてまわっている、他ならぬわたし自身、つまりこの意識だなー、という考えに達します。
意識は、いつもほかの誰かに聞く(尋ねる)ことができますが、自分自身には尋ねられないようです。そのかわり、意識には大きな特徴があると考えます。
意識は、外からの影響を最も受けやすいということです。
言葉を換えれば、
意識は、外からの影響を最も受けることができる、といえます。
意識は、外からの影響を受けて、恐怖に圧倒されています。
そのままだと、身体はこわばったり、お腹が痛くなります。
精神は、働きづらくなって、哲学者は休業です。
子どもだけは、ふんばって頑張ろう、内外のすべてを対処しようとしてくれますが、意識のサポートがないと辛いようです。
さて、そんなふうに考えましたので、
意識が外からの影響を最も受けるのならば、
その影響を受ける「元」を、選んで、絞ってしまおうと考えました。
意識は、
星・神・仏からの影響を受け取ろう。
と、意識することにしたのです。
そうして、その時は、危機をすりぬけることができました。
星・神・仏、というのは、その時に思いついた、影響を受け取ってよさそうな、わたしの意識にとっての「外」だったのです。
*追記
わたしは、その後、星・神・仏を、よーく実感する経験に出会うことになりました。
いつか書いてみようと思います。