美しいものと善いものの関係
美しいものから善いものが生まれるのか
善いものから美しいものが生まれるのか
あるいは、そうした問いの立て方がまず違っているのか
悪は善の欠如だというのが、ヨーロッパ思想の考えだという
しかし、悪は善の欠如ではない。
そのような消極的形態ではない。
悪は、善の収奪である。
神を善と同一視するというあやまち。
(善は、神ならぬ人間に固有の要素だと思う。
善は、何か積極的要素なのだと思う。
悪が、(悪い意味で)積極的要素であるのと同じく。
善も悪も、変化をもたらす。救いや癒しや飛躍をもたらしたり、惨い自己否定や自己破壊と無気力をもたらしたり。
いずれにせよ、変化をもたらす要素だ。
今、善にだけ注目していうならば
(なぜならば、人が必要なのは自己否定や自己破壊ではなく、癒しや飛躍だと思うから)
善いことをなしうるという人間の力は、
善いことをしない、悪をなすこともできる人間があえて選ぶ力だからこそ、
大きな大きな力となるのだろう。)