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水の女[1]について、何かをまとめることなどできるのだろうか?
折口信夫の論文「水の女」は、1927年にはじめて世に現れた。折口の文章全般にいえることだが、ほかの彼の文章にもまして、具現化の力というべきか、想像力というべきかが強いのではないかとおもう。
私は、水の女の舞を想像した。そして、「水の女」という名前の曲を書いた。それは確かに、水の女が舞ったであろう幾つもの景色のうち一つの景色の響きではあるだろうと思う。できた曲はやや暗めの響きといえるが、「暗め」という明暗で語るより、もっとふさわしい言葉があるかもしれない。
正確には、水の女が「舞った」とは、折口は書いていない。これは私の想像だ。
多分、舞が本質ではないのだろう、本質は、「ひもをほどく[2]」ことにあるのだと思う。舞は、それが儀礼化・形式化したものなのだろう。
しかし、おそらく舞にある種の美しさは残った。ここからしても、『美とは、より古い善の名残りである』という折口の主題[3]は生きるのだろう。
「水の女」は、ある営みが儀礼化・形式化していく過程をいくつも描写している。儀礼や形式となったものが、ようやく古文献に記録される。古文献の記録は、その元の営みの名残や痕跡であると繰り返し述べている。
私の今の仮説は、「水の女」という論文は、『美とは、より古い善の名残りである』という彼の主題を具体的に表現しようとしたケースワークであるということだ。
[1] 折口信夫『古代研究Ⅰ 民俗学篇』(角川ソフィア文庫、2016年、pp.89-122)。
論文「水の女」の初出は『民族』(1927年9月、1928年1月)。「水の女」を第4論文として配列した『古代研究』の初出は1929年である。
テキストは以下の「青空文庫」においても読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/16031_14239.html
[2] 「ひもをほどく」という所作については、p.5下段を参照
[3] 折口前掲、p.20。わたしは、「美と善」の研究をする際に、折口の学問から新しい解き口を得ようとしている。
参照のために、関連箇所を引用する。
「生活の古典なるしきたりが、新しい郷党生活にそぐわない場合が多い。たびたびの申し合わせで、その改良を企てても、やはり不便な旧様式の方に綟(よ)りを戻しがちなのは、その中から「美」を感じようとする近世風よりは、さらに古く、ある「善」−少なくとも旧文化の残った郷党生活では−を認めているからである。この「善」の自信が出てきたのは、辿れば辿るほど、神の信仰に根ざしのあることが顕れて来る」
この中で、美の古くには善があり、善を辿ると「神の信仰」が根ざされていると言われている。
折口がいう「神の信仰」は、現代風の単純な捉え方では捉えられないが、この箇所については、すでに多くの研究蓄積があると思われる。
問題は、それが「善」になり、それが「近世風」では「美」と感ぜられるという折口の観察の根幹が何かということだ。
(だが、これを確かめるには、折口の学問のなかで、美と善をどう関係しているか(課題1)を探らねばなるまい)