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古代研究13(おめでとうの本義)

  • おめでとうの本義
「春の初めと盆前の七日以後、後の藪入りの前型だが、さばを読みに出かけた。親に分かれて住む者は、親のいる所へ、舅・姑のいる里へも、ことに親分・親方の家へは子分・子方の者が、どこに住もうが遠かろうが、わざわざ挨拶に出かけた。藪入りの丁稚・子女までが親里を訪れるのは、この風なのだ。…閻魔堂・十王堂・地蔵堂などへ参るのは、皆が魂の動きやすい日の記念であったので、魂を預かる人々の前に挨拶に出かけたのだ。これは自分の魂のためであろう。また家へ帰るのは、蕪村が言うた、「君見ずや。故人太祇の句。藪入りのねるや一人の親のそば」。そうした哀れを新たにするために立ちよるのではなかった。親への挨拶よりも、親の魂への御祝儀にも出かけたのだ
 「おめでとう」はお正月の専用語になったが、実は二度の藪入りに、子と名のつく者、すなわち子分・子方が、親分・親方の家へ出て言うた語なのである。…つねづね目上と頼む人の家に「おめでとう」を言いに行ったなごりである。「おめでたくおわしませ」の意で、ご同慶の春を欣(よろこ)ぶのではない。「おめでとう」をかけられた目上の人の魂は、それにかぶれてめでたくなるのだ。これが奉公人・嫁婿の藪入りに固定して、「おめでとう」は生徒にかけられると、先生からでも言うようになってしもうた。これは間違いで、昔ならたいへんである。一気にその目下の者の下につく誓いをしたことになる。…室町ころからは「おめでたごと」と言うたようであるから、盆でも「おめでとう」を唱えたのである。正月の「おめでとう」は年頭の祝儀として、本義は忘れられ、盆だけは変な風習として行われてきたのだ。」(『古代研究 Ⅰ-1』pp.147-8)
 
 
 ここで書かれている「おめでとう」の本義を読むと、「子ども」というのは、かつてどういう存在であったのかを思わせる。
 奉公関係は、厳格でしばしば過酷な上下関係であっただろう。そうした上下関係を確かめるための儀式として「おめでとう」と言う言葉は、目下の者から目上の者へとかける儀礼でもあっただろう。しかし、この儀礼の本質について折口が述べていることは見逃せない。それは「親(または目上の者)への挨拶よりも、親の魂への御祝儀」であった。それは、その言葉をかけられた者の「魂がかぶれてめでたくなる」言葉であった。だから、目下の者たる「子の名のつく者」は、実に目上の者の魂に祝いをかけられる力のある者であったことは疑いえない。この祝言を言うという能力は、他所で折口が明確にしているように、「まれびと」たる異邦から訪れる神の能力にほかならない。だから、子どもは、「まれびと」たる神に近い能力を為す者であったわけなのだ。
 「春を欣ぶ」のではなく、魂を欣ぶ、祝う言葉であった「おめでとう」だからこそ、正月だけでなくお盆にも言われたのであろう。
 折口がこの論文を書いて百年、、、いまだにこの言葉が日本語に占める重要性は変わっていない。確かに、「合格おめでとう」「昇進おめでとう」は、功利主義的な成果主義を称える言葉に成り下がってはいるが、「めでたさ」の感覚のなかに、どこか魂への褒め言葉という感覚はかき消されていない。それだけに、百年前の折口の次の文章もいまだに有効である。
 
「「おめでとう」の本義さへわからなくなるまで崩れていても、永いとだけでは言い切れぬような、久しい民間伝承なるがゆえに、容易にふり捨てることはできないのである。」(ibid. p.150)
 
 ここは、折口の「美と善」を示唆するあの文章とも意味がつながる場面である。
 
 とはいえ、「祝い」の言う者は、それを言う環境が落ちぶれれば、いくらでも賎民扱いされてしまう。その歴史的具体例として、折口は「祝い」の言葉の専門職人の変遷を下記のように記している。
 
「その「おめでたごと」をどこかしことなく唱えて歩いた一団の職人があった。いわば祝言職である。これとてもとは、一つの家なり、一つの社寺なり、隷している所が厳重にきまっていたのだが、…だんだん自由が利くようになっていった[=属している代わりに保護もしてくれる社寺がなくなり、いわばこうした祝言を言う職人たちの「フリーター」化がはじまった]。…こうした連衆の中、うまく檀那にとり行って、同朋から侍分にとり立てられたものもあるが、そうした進退の巧みにできなかったものは、賎の賎という位置に落ちてしもうた。この階級から能役者・万歳(ばんざい)太夫・曲舞々(くせまいまい)・神事舞(しんじまい)太夫・歌舞役者などが出た。もっと気の毒なのは、とても浮かぶ瀬のなかった者と一つにせられた。祝(しゅく)など言うのは、それである。」(ibid. pp.151-2)
 
 生徒から「おめでとう」と挨拶をされた先生が、生徒に「おめでとう」と返すのは、一方で自然な反応に感じるのは、私が近代人だからだろうか?あるいは未来人だからだろうか?ともかく、互いに「おめでとう」の声をかけあうとともに、かき消えてしまったのは、身分や立場の上下ではなく、むしろ「おめでとう」の本義であった。つまり、その言葉が「魂への祝儀・祝言」であったというその性質が却って見えなくなった。あるいは、「子ども」に祝言を言う能力があると認識されなくなったとき、日本社会にずっとあった上下関係はより過酷なものに変質してしまったといえるだろう。
 
 「祝」と呼ばれた最も賎民とさせられた人々の言葉の威力について、折口は次のように書いている。
 
「一度唱えると不可思議な効果を現すその文句は、千篇一律[多くの詩がみな同じ調子で作られていること。転じて、どれをとっても皆同じようで面白みのないこと]であった。…千篇一律なるがゆえに効果のあった祝言は、古い寿詞の筋であった。後世の祝祭文のように当季当季の妥当性を思わないでもよかったのが、寿詞の力であった。寿詞を一度唱えれば始めてその誓いを発言したと伝える神の威力が、その当時と同じく対象の上に加わってくる。その対象になった精霊どもは、第一回の発言の際にした通りの効果を感じ服従を誓うすべてが昔のままになる…」(ibid. p.152)
 
 寿詞は、「始め」(初め)の「神の威力」が、その当時と同じく発動するための特別の言葉なのである。「初めの神聖なる威力の再現・回帰」という点で、アーレントのいう「伝統」を現実化するツールが寿詞なのである。
 この寿詞の力について、さらに折口はこう書く。
 
「寿詞は、物事を更にする。更はくり返すことである。さらは新(さら)の語感を早くから持っていたように、元に還すのであると言うよりも、寿詞の初めその時になるのである。」(ibid.pp.152-3)
 
 物事を「更にする」という寿詞の力は、新しくすると同時に初めに還る、むしろ初めその時になる(という意味で時が繰り返し再び始まる)といった意味合いがこめられていたらしい。ここで、この「若水の話」というテキストの一番最初に書かれた、古代の村の時間の話、「時はくり返す」という性質に重なっていく。

 「おめでとう」を端緒としてここで語られている「祝言」ないし「寿詞」は、基本的に対象の魂を喜ばすものであるから、文字通りの対象を祝う言葉であるが、この寿詞の力には、単なるお祝いではなく、「物事を更にする」という力がこめられていた。これには、新しくする、初めに戻る、初めの力を蘇らせる、時が新しく始まる、といった意味合いがある。これは、必ずしも「もつれたひもをほどく」(「水の女」)、すなわち穢れや罪をほどく、本質から外れた状態を正道に戻すというだけに限局されるものではない広い意味を持つが、こうした「穢れの祓い」も含まれるのだろう。

 時を初源に戻す力というのは、折口の世界に登場するさまざまな神の力に共通するある種の通奏低音として捉えることも可能かもしれない。(だが、)こうした時間にまつわる能力に付け加えて「更にする」という語感に含まれる多様な要素がやはり注目される。更にするとは、「一回リセットして元に戻す」のニュアンスがやはり中心にあるはずだ。この点で、「もつれたひもをほどく」という「水の女」でクローズアップされた要素も、やはり折口の世界に共通する(全てではないにせよ)神々の力(ここには神と一体となった様々な聖なる女性や聖職者も含まれる)の重要な要素といえるのではないだろうか。これはまだ仮説である。だが、折口なりの「美と善」の全容に、少し近づいたのではないかという気もする。