生まれた日と場所:
高橋 在也 (たかはし ざいや)
1980年、前橋市生まれ。前橋は、東京から電車で2時間ほどの街。
そこを流れる美しい河、河沿いの緑の野、そして日本の文学史上重要な詩人を輩出してきたので、
「水と緑と詩のまち」という愛称がついている。
私は、この愛称がとても気に入っています。
家族と本屋の話:
私の家は、前橋の中心商店街にある本屋をしていました。
創業は1880年(明治13年)、私のひいひいおじいさんがいとこと一緒に創業したそうです。
ひいひいおじいさんの息子、つまりひいおじいさんは、本屋の3代目経営者で(兄が2代目だった)、一生を本屋の経営者として尽力して過ごしつつ、また詩人として知られる人物でした。その人、高橋元吉(たかはしもときち、1893-1965)は、彫刻家の高田博厚(1900-86)の親友であり、また萩原朔太郎(1896-1942)や、柳宗悦(1889-1961)ら白樺派と呼ばれる文学者たちとも親しく交流をしていました。彼は30代の時に詩集を3冊出しますが、その後は生活の中で詩をメモ用紙やそこらの雑紙に書き付け、その詩の原稿を、彼の姪(私のおばあちゃん)が編集して、彼の息子(私のおじいちゃん)が装丁・装画して、「全集」として出版されました(残念ながら、今は絶版になっていますが)。
おじいちゃんも、本屋の仕事に携わりつつ、絵を描く人でした。山や林の風景を描くことが多かったのですが、ある人にいわせると、絵の風景のなかにいつも彼自身も佇んで居るように見えるそうです。彼はセザンヌが好きでした。
その娘(私の母)も、本屋の仕事に関わりながら絵を描き、現在では、本屋の「心」を「ぎゃらりーFROMまえばし」という自宅兼ギャラリーに移して活躍をしています。
私はこの本屋で働く機会は無かったのですが、その名を「煥乎堂」(「煥(かん)」とは、火を照らして明らかにすること、「乎(こ)」とは、「あぁ」という詠嘆または呼び声の意味)という私の家族が携わってきた本屋が、今の私のルーツのひとつであることは間違いないと感じています。
音楽の話:
私自身の音楽のルーツについては、本当はまだよく把握できていないのですが、
バッハとリストには大きな影響をうけています。
バッハは、その「宇宙」を現す仕事に、毎回言葉を失うほど感銘を受けます。それでいて、心が辛いときに、なんてさりげなく存在してくれるのでしょう。バッハはすごい!リヒテルというピアニストの『平均律クラヴィーア曲集』は、どんな時も私にとっての「泉」みたいなものです。
リストは、その和声や音楽的世界観から大きな影響を受けました。でも、それ以上に、音楽に流れる精神的水流というべきものが、とても近しく感じます。「孤独の中の神の祝福」など、特にそう感じます。
音楽略歴:
職業略歴: