研究のこと:暗い時代における手作り雑誌の意味


『野褐』創刊号。1942年。『野褐』は、褐色の野という意味で、中国・明の時代の画家、倪雲林(1301-74)の詩から取られた。
『野褐』創刊号。1942年。『野褐』は、褐色の野という意味で、中国・明の時代の画家、倪雲林(1301-74)の詩から取られた。

1931年の満州事変から1945年の敗戦までの間を、日本史では「十五年戦争」あるいは「アジア・太平洋戦争」の時代と呼んでいます。この15年間、特に日中戦争(1937-45年)が起こってからの8年間は、言論の自由というものが苛酷に抑圧された時代でもありました。

 

言論の自由が抑圧されるということは、ただ単に、何かを出版することも政治的な集会を開くこともできなくなる、ということだけではありませんでした。それは、私達の良心が、恐怖にさらされるということでもありました。

 

もし、本当に考えていることや社会への真剣な意見を口にしたら、

自分は逮捕されるだろう、

いやそれよりも、

全ての人から無視をされ、生きるための場所を失ってしまう、

こいつは「日本人」じゃない、と言われて。。。

 

そんなふうにして、私達は心の中のなにか真剣なものを表現して共にするための

場所も時間も失ったのです。

国家の圧力というより、私達の社会そのものが、私達から「表現」をするための呼吸を奪ったと私は考えています。

そういう社会の下で、私達の精神は、文字通り暗く染められたのです。

 

ちょうどその時代、若い頃の私のおばあちゃんやおじいちゃんが、自分の家族といとこたちと一緒に小さなグループを作りました。

かれらは、自作の詩や小説、哲学・音楽・日々の暮らしのことについてのエッセーを書いたり、写真を撮ったり、その他ヘンな創作物をつくりだしました。

それから、原稿を集めて、編集し、『野褐(やかつ)』という題名の手作り雑誌を作ったのです。

さらに、何とかして一同集まり、一緒に読み合う時間を持ったのでした。

私は、おばあちゃんがこの雑誌をはじめて見せてくれた時に感じた衝撃と感銘を、忘れられません。

この古雑誌の1ページ1ページが、真っ暗な時代の真ん中で、ある種の光を持っているように見えたのです。

 

それ以来、私は、この時代の同じような手作り雑誌を発見しようとしてきて(いくつかのものは、出版されています)、

また、少し広く時代を取って、1920〜40年代の日本の、興味深いと思われる手作り雑誌についての研究を進めてきました(その一部は、今後論文として発表する予定です)。

同時に、哲学理論、主にハンナ・アーレントの理論について研究もしてきました。

こうした雑誌の歴史的意味を明らかにしたいからです。

 

どんなに社会が私達にとって苛酷でも、世界が色を失ってみえても、

心に火を持った人達は、何かの「新しい」こと―それを「文化的」と呼ぶのかもしれませんが―を始めていたのです。

それが「事実」として残されたならば、私は、そうした「事実」の意味を、探し求めたいと思っています。

「事実」が、私達の勇気に、少しヒントとなるものをもたらすこともあるかもしれません。

 

2015年3月

高橋在也


今まで書いてきたもの


宮沢賢治と高橋元吉:詩集のやりとりの証言

(2018年)

『宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報』第56号、13-15頁

 

宮沢賢治と高橋元吉—音楽でつなぐささやかな試み—

(2017年)

『賢治学』(第4輯、212-220頁)

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心の傷の時代における芸術の再解釈−ジョルジュ・ルオーを例に−

(2017年)

『総合人間学』第11号、131~140頁

 

日本における「望ましい死」の概念

(2016年)

長江弘子編『本人の意思を尊重する意思決定支援: 事例で学ぶアドバンス・ケア・プランニング』南山堂(18-25頁)

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エンド・オブ・ライフケアと“good death”概念

(2016年)

『看護技術』2016年10月臨時増刊号(10-13頁)

メヂカルフレンド社のホームページ

 

生き方の理解と支えあいのための場の模索−エンドオブライフを考える市民参加型プログラムの事例から−

(高橋在也、岩城典子、長江弘子、石丸美奈、清水直美、吉本照子:共著)

(2016年)

『生命倫理』(27号、159~168頁)

 

生と死を受けとめ語る場のいままでとこれから

(2016年)

千葉大学大学院看護学研究科エンド・オブ・ライフケア看護学編

『エンド・オブ・ライフケアを支える語り合い学び合いのコミュニティづくり』(100-108頁)

 

民主主義の発生源としての「政治的徳」 ―ダグラス・ラミス『ラディカル・デモクラシー』から見えるもの―

(2015年)

『総合人間学』第9号、151~162頁

 

ウィリアム・モリス—ヴィジョンを発光する多面体

(2015年)

『POSSE』2015年3月号、堀之内出版

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人間にとっての〈語り〉の根源性ー年を重ねた者と〈語り〉の場の生成ー

(2014年)

『総合人間学』第8号、251〜260頁

 

北村透谷における愛と話しあいの経験―近代家族をこえる試みとして―

(2011年)

『総合人間学』第5号、113〜123頁

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〈家族〉関係で友情は成り立つのか、または、愛の変容

(2010年) 

米村千代編『日本社会における「家」と「家族」の位相』

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第210集、65〜83頁

 

知識とはわたしたちにとって何か―近代における「知識人」論から

(2009年)

『民衆の営みと思想からとらえる近代化過程に関する協同研究』

平成19〜20年度 東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科院生連携研究プロジェクト研究報告書、23〜32頁

 

戦時下知識人家庭の「家内文化」―思想がうまれるとき

(2009年)

『唯物論研究年誌』第14号、青木書店、277〜302頁

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『ユートピアだより』再考―労働における精神の自由について

(2008年) 

三宅晶子編『身体・文化・政治』

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第156集、5〜24頁


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